過去のエッセイ掲載

うっかりブログを1年くらい放置していた。やる気だけはあります、やる気だけは。

 

しばらくは出処のなかった過去のエッセイでも掲載しておこうと思う。

以下は過去のエッセイ1つ目。

 

 カエルが何よりきらいだ。
 ストレスが溜まった時に見る悪夢は大抵カエルに襲われる夢だ。夢占いだとカエルは吉兆らしいが、私に限った話ではそんな事は一切ない。それくらい心底「敵」という認識が根付いている。
 カエルは大抵の種類はどこかに大なり小なりの毒を持つし、動きが読めない。止まったと思った瞬間飛びついてきたりする。要するに、カエルに対する私の敵意の大半は「怖い」に起因すると考えられる。
 従って、カエルへの恐怖心を打ち消してやれば、日々カエルに怯える生活からもおさらばできるはずであろうと結論を出した。しかし、理性で恐怖を抑えるような方法ではダメだろう、視界に入れた途端に考えるより先に身体が逃走姿勢に入るのだ。それこそ本能に「カエル、恐るるに足らず」と教えこまねばあるまい。
 生き物としての強者とは何か、そう。捕食者である。
 都合良くサンシャイン水族館にて米とサーカスという珍味の店と水族館の企画とのコラボ飲食店舗が出るという話を見つけた。そこで、カエルの姿焼きが提供されるのだ。
 食べるしか無い。食べて、頂点捕食者としての自覚と誇りを取り戻すのだ。体長が自分の十分の一以下の両生類に怯えるのはもうたくさんだ。
 私が誘ったら快く承諾してくれた友人を引き連れ店舗へと向かった。彼女がこの勝負の見届け人だ。混雑を心配したが、奥まった場所にあるせいか人は少なく、これならゆっくり対峙できるなと思いつつカエルを頼むと「今から解凍するのでお時間かかりますが……」と店員さんに言われてしまった。
 他に気になっていたグソクムシカレーなどを先に頼み、それらを食べながら憎き奴の解凍を待つことにした。あと二人分の一食で会計が一万円を超した。焼肉くらいの値段だ。
 カエルの前菜のように運ばれる丸揚げのグソクムシ、「殻ごと食べられますよ~」と教えられ、それならと尻からかぶりつく。
 !? 頭に電撃が走った。硬い。エビの殻なんか問題にならないレベルに硬い。まさに具足だ。無理矢理噛み割って臼歯を駆使して咀嚼する。「殻ごと食べられる」とは「(ものすごく努力をすれば)殻ごと食べられ(ないことも無い気がす)る」という事だったのか? 飲み込めない。油断すれば口の中の大流血をお約束! といった触感の殻を根性で噛み割る。飲み込む。
「これ……フフフ、すごいわ、フフフフ」
 友人が余りの硬さに笑い始める。これは戦いだ。他の生き物に食べられまいと甲冑を身に着けたグソクムシと、それを食べんとする私たちの。
 私の口内は負傷し、異様な咀嚼による満腹中枢の刺激でカエルが届いたころには満腹になっていた。一応は残さず頂いたがグソクのインパクトには敵わず、印象が薄い。これでは不戦敗も同じだ。体も捕食本能を思い出していないのか、カエル自体もまだ怖い。
 いつかまた、私はリベンジする。カエルの上位捕食者としての自覚の為に。

 

この文をまた別な友人に見せたところ、「食事を闘争として捉えてるのどうなの」といった意見をいただいた。

それを聞いて、面白い視点だなと思った。書いた時は戦いと感じている自覚こそなかったが、改めて読み直すと確かにそうも思えてくる。

実際、食事とバトルは近しいところに居ると思う。私自身食いしん坊なのはあるが、外食で注文した後見落としていたメニューを見つけると負けた気になるし、定食は運ばれてきた瞬間、食べる順番を考えシミュレーションし、その順番を遂行することに喜びを感じる。

野生の肉食動物ならそれこそ戦闘の勝利=食料の確保な訳であるし。

真正面から食事の中の戦いを書きたい。そう思い飯に関するエッセイをいくつか書いたまま死蔵させていた。

そういった作品をボチボチ載せていきたい。