ピクニックの素晴らしさについて

 ピクニック。素晴らしい響きだと思う。
 私はだいたい二〜四ヶ月に二回ほどの頻度で、ピクニックへの憧れが高まって高まって止まらなくなる。それは素晴らしい青空を見たり、小説で素敵なお弁当の描写を立て続けに見てしまった日だったりする。
 その度に毎回適当に荷物を揃えソロピクニックを決行したり、友人を誘い合わせて本格的なピクニックを行う等している。しかし、行きたいという気持ちとは別に、『憧れのピクニック』について突き詰めたいという気持ちが同時に湧き上がってくるのだ。

 私はそもそも、『存在しない理想』の話が好きだ。存在しないアニメ、存在しないゲーム、存在しない観光地街。理想の中には運営の不祥事も依怙贔屓も観光客のゴミ問題も存在していない(むろんリアリティの追求のためにそういった設定も出すことはあるが、あくまで致命的にならない範囲内だ。話はズレるが、私の理想の街には「観光地化に失敗し可愛くないゆるキャラグッズが置かれている寂れた郊外」等のものもある)

 外国文学や絵本が好きな人なら、一度は素敵なピクニックの描写を見たことがあると思う。焼き菓子、シロツメクサ、バスケット、タータンチェックの敷き布、いちご、瓶ごと詰められたジャム。
 しかし、現実問題としてそういった夢のようなピクニックはとても難しいというのも事実だ。
 素敵な食器は重いし割れるのも怖く、プラフォークや紙コップが便利だろう。ブランケットを敷くと枯れ草や泥がつく、ビニールシートの方がいい。ジャムを瓶ごと? 重い。小分けにしてタッパーで持っていけ。藤製のバスケット? 食中毒になりたくなければ保冷機能の付いたビニールバッグを使うべきだ。

 だからこそ、理想のピクニックは素晴らしいのだ。現実のピクニックをできる範囲内で行いながら(それは例えば紙コップでなく割れにくい分厚い陶器のマグを持っていったりして)憧れを夢想する。
 ピクニックの現実と理想がかけ離れればかけ離れるほど、それは特別になっていく。人が魔法に憧れるように。

 世の中の人々は、もっと理想のピクニックについて語るべきだと思う。実現が可能とは思えないような、夢のピクニックについて。それがピクニックを黄金色の輝きで包む方法だと思う。
 そんなに理想を膨らませると現実とのギャップにガッカリしてしまうのではないかと思うかもしれないが、大丈夫、外で食べる食事は全て素晴らしい。
 夢想こそピクニックの本質である。胸を張ってくれ。

 人にばかり理想のピクニックの話を聞いて自分はどうなんだと思われそうだ。そろそろ自分の理想のピクニックの話をしよう。

 まず、ボートのピクニックをやってみたい。勿論森の中で、自分ともう一人くらい友人が欲しい。それ以外は誰もいないのが望ましいだろう。
 二人で丁度いい大きさの手漕ぎボートに、クッションを置く。友人はできればチェスをできる相手だと嬉しい。携帯のチェスセットを真ん中に置き、その両脇にワイングラスを一個ずつ。甘いワインだといい。
 二人でチェスをし、疲れたらお互いが持ってきた本を交換して読みたい。ワインのお供はバケットとドライフルーツ、クリームチーズ、生ハム。銀のナイフでバケットに塗って、片手間に食べる。
 ラジオも乗船を許可しよう。海外の古いジャズか、クラシックが流れるといい。先程から出してきた小道具は、全て大きい古いトランク(もちろんキャスターなんて付いていない)に詰め込んで持ってきたものだ。濃い茶かキャメル、もしくは深緑で、持ち手はつやつやと磨かれているもの。
 寒くなったら大判のブランケットを出す。生成で縁飾りの付いたものと、クリーム色に柿色のチェックの付いたものを一枚ずつだ。このピクニックの季節がそろそろ見えてきた。秋だ。 

 考えただけでうっとりするようなピクニックだ。完遂した瞬間死んでもいいと言えるかもしれない。勿論先に挙げたのは幾つもある理想のピクニックのうちのひとつに過ぎない。他にも例えば
・森で巨大な切り株をテーブル代わりに、焼き菓子やオーブン料理、その場で淹れるコーヒー等を楽しむ。ランタン付きのピクニック
・芝生で三段トレイとフルセットのティーセットを使う、アフタヌーンティーを兼ねたピクニック
・山の中で行い、複数人で紅茶占いやタロットをし、本を交換して読み合い、野草ブーケを作りお互いのブーケを褒め合う秋のピクニック
など、パターンは無限にある。理想だから実際には自分が出来ないことをやっていてもいい。チェスなんて駒の動きしか知らん。むしろ登場人物に自分が居なくてもいい。理想なんだからピクニックの主催が森のウサギでもアンでもマーニーでも良いのだ。
 あなたの理想のピクニックはどんなピクニックだろうか? ひらめいたなら、ぜひこっそりと教えて欲しい。できれば、私と一緒に行ったピクニックで。それが理想と遠くても近くても、ピクニックはそれだけで素晴らしいのだから。